たまごビル講座   平成12年11月11日




重症性筋無力症を良くしていただいて

体験発表者 O.K.さん   
      講師 たまごビル院長 
石垣 邦彦 先生



生まれてはじめて、
          生きている実感がわいてきた。
                      (O.K.さんの言葉より)

筋無力症とはその名の通り、筋肉の力が無くなり日常生活に支障をきたす病気ですが、
この病気を患って26年になります。
4才の時、保育所に迎えに来た母が、私のまぶたが下がっているのを見て慌てて近くの
眼科医に連れていったそうです。そこでは原因も病名も判からず、翌日、泉大津の**病院
へ行ったところ、その時の担当医がたまたま**医大からきていただいた方で、「これは
非常に難しい病気かもしれない」とのことで、すぐ**医大へ入院するよう勧められたのです。

勧められるがままに、**医大で約1ヶ月 入院しましたが、これといった治療らしい治療を
受けられず、病名も判からないまま、時間が過ぎてゆき、そして両親の判断で退院する
ことになったのです。

その後、諏訪の森にある近江眼科でやっと「筋無力症かもしれない」と診断され、
「大きな病院でみてもらった方がよい」とのことで、その後母は私を連れて**医大、**医大、
**医大と、主な大病院を廻ることになったのです。その時点で「筋無力症にほぼまちがいない
だろう。」といわれていましたが、どの病院の医師も手さぐり状態の治療で、筋電図等のつらい
検査の毎日で、思わしい決果や、少しの明るい未来も見ることができませんでした。

その後堺の**病院へ通いはじめた頃、私が小学校1年生の時でしたが、学校で居残りを
して本読みをさせられていた時、声が出なくて泣いてしまいました。家に帰ると筋無力症の
全身型の症状にあたる、息苦しい、物が飲み込めない、状態になってしまいました。

この時まさに筋無力症の全身型になってしまったのです。
筋無力症眼筋型―まぶたが下がる(片目あるいは両方)、眼球が動きにくい、のに加えて、
筋無力症全身型 は顔面・首・手足・腰等に力が入らない為、次のような症状があります。 

  起き上がれない・顔が洗えない・お風呂で体や頭が洗えない
  頭が支えられない・トイレで立てなくなる・服のボタンがかけられない
  笑い顔が泣き顔になる・空気が鼻からもれる為上手にしゃべれない
  息切れがして声が出にくい・口や舌がまわらない
  箸でつかんだ物を口へ運べない・ かめない・ 口をぎゅっと閉じれない・飲み込めない
  呼吸がしにくい・ 呼吸困難(クリーゼ)

この豊かな時代に、食べたい時に食べたい物を食べられませんでした。ある時など、
エビフライがかみ切れず、手であごを上に押さえて食べたり、口をぎゅっととじれないので、
ごはんつぶがポロポロと口からこぼれてくるので、手で口を押さえて食べていたこともありました。
1粒の小さな薬さえ飲み込むことができず、気管をつまらせてそのまま呼吸困難(グリーゼ)に
おち入り、救急車で運ばれたことも何度かありました。

食べたい物を、いつでも食べられるのは、この時代あたりまえのことですが、そのあたりまえの
ことを私はできませんでした。その時のことを思うと、今好きな物をいつでも食べたい時に食べ
られることもありがたく思うのです。もし、私が病気になっていなかったら、そう(ありがたいと)思う
こともなかったでしょう。

堺の**病院の小児科病棟はじん臓病などの為、食事制限されている子どもたちが多く、外部からの
食べ物の持込は厳しく禁止されていましたが、食べられる時に食べたい物を、ということで、
親心から母は何でも持ってきてくれました。それを看護婦さんに内緒で食べたのを覚えています。

この堺の**病院で入院中、7才の時ですが、一度死んだことがあります。
肺炎から呼吸困難におちいり、ついにもうダメだという時、一人の医師の懸命の努力により、
息を吹き返すことができました。(マウスツーマウスを1晩中してくれたそうです。)

退院後も“風邪をこじらせては入院”といった具合で、1年に1度は入院生活を余儀なくされ、
小学校は休みがち、勉強は遅れ、体育は見学、まぶたが下がってくるので、どうしてもうつむき
がちで、声が出ないので本読みが苦手でした。
長く入院した後の、はじめての登校日は、いやでいやで仕方ありませんでした。私はとても
引っ込み思案な子供だったんです。

そして、小学校5年生の時ですが、筋無力症の治療に有効とされる胸腺摘出手術を**大学病院で
受けたのです。5時間に及ぶ大手術でした。胸腺と言うのは筋肉側の(命令を受け取る)
キャッチャーを殺してしまう抗体と密接に関係が有るとされています。
その後3年間は風邪をこじらせては肺炎になり、入退院を繰り返しておりました。

13才になり、次第に体力や抵抗力がついてきて、風邪を引いても入院には至らず、薬で
コントロールして日常生活を何とか過ごせるようになりました。とはいっても薬が切れてくると、
まぶたが下がる、息苦しいと言った症状がなくなることはありません。

24才の時、はじめてパルス療法というのを**大学病院ですることになりました。
パルス療法というのは、ステロイドを短期間に多量投与する治療法ですが、あまりにもきつい薬剤を
大量に体内に流し込むわけですから、身体には非常に負担がかかり、1週(1クール)目が終わるころ
38度の熱が出て、顔が真っ赤になり、1晩で顔中に、にきびが出来、胃や腸が荒れて痛くなり、全身
の脱力感をともなう初期増悪がはじまります。しかし、皮肉なことにこの初期増悪が有ればある程、
パルスが効果的ということになり、2週(2クール)目が終わるころになると、おめめパッチリ、思わず駆
け出したくなるようなエネルギーがみなぎってくる感じがするのです。食べても食べてもすぐお腹が
すくので、夜も目がさえて眠れない日が続きます。

<パルス療法>
   1週(1クール)  月、火、水曜日、点滴。 木、金、土、日、休み
   2週(1クール)  月、火、水曜日、点滴。 木、金、土、日、休み
   3週(1クール)  月、火、水曜日、点滴。 木、金、土、日、休み

しかし、ガソリンを満タンにした車がいつかはガス欠になるように、薬の力で無理やり元気にさせられ
た体がいつまでも元気でいられるはずもなく、パルスの効果がなくなってくると、又、”入院して
パルス”といった同じ事の繰り返しの人生。2年に1度の入院が、そのうち1年に1度、半年に1度と次第
に入院する頻度が高くなり、しかも、初めてパルスをした時ほどの効果が得られなくなっていました。
「このままずっとこのような入退院を繰り返すのかなあ」と思うと、とても不安不安でたまりませんでした。

そして、ちょうどその頃石垣先生に出会う事が出来たのです。親類の者に連れて来てもらったのです
が、初診の時に院長先生が「元気にしたげるからな」「きっと良くなるから」と言ってくださり、それまで
体調の悪いのに加えて不安やイライラを抱えていたのが、その心強い一言でたちまち安心感に
かわっていったのです。

そして、通い初めて1週間、まず母が変化に気づき、「このごろ、しんどいって言わなくなったな」
と言われました。そういえば、身体の上に重くのしかかっていたものが取れたような、ふっと身体が
軽くなったような感じがするではありませんか。

自分の身体に耳をすませば、内臓が動いている、心臓のポンプが全身に血を送っている、全身に
血が脈々と駆け巡っている“音”が聞こえるような気がします。
「内臓の動きを良くする事ってこういう事なんだ」「私って生きているんだ」と、生まれてはじめて
生きている実感がわいてきました。

薬で無理やり元気にさせられた身体は本当の健康な身体ではないことや、日ごろから内臓をいたわる
生活をし、内臓の動きを良くしていただくことが、どんなに大切な事かもわかってきました。
少しずつですが、無理やりにではない、本物の元気に近づきつつあるような思いがいたします。

今年の春(平成12年)、筋無力症友の会の集まりに、*病院の神経内科のDrを招いておりましたが、
私が自己紹介の時に、以前はパルス療法を受ける為に、入院ばかりしていたが、石垣先生に通いは
じめて2年、一度も入院することなく元気に過ごしていると言うと、「鍼で筋無力症の症状が軽減する訳
が無い、偶然だ」というふうに言われました。目の前に「元気になった私」と言うれっきとした事実がある
にもかかわらず、信じられない、そして、少し馬鹿にした印象を受け、とてもくやしい思いをしたことがあ
ります。

元気にしていただくと、病気のことも忘れて、つい無理をしてしまいがちです。「油断したら
あかんで」と言われていたにもかかわらず、つい残業などに精を出してしまい、ついこのあいだも
無理がたたって、体調をくずしてしまい、症状が出てきました。自分でもわかるぐらい上腹部が
カチカチに固く、内臓の動きが大変悪くなってしまったのです。
内臓の動きと、病気の症状が密接にかかわっていることを、改めて思い知らされるとともに、
先生方がおっしゃった通り、「無理したらアカン、」「油断したらアカン」と言う言葉を思い出して、
反省することしきり・・・。

これは、私だけでなく、他の皆さんのいえることですから、元気にしていただいたといって、けっして
無理をしないで下さい。元気にしていただいた患者さんたちが幸せそうにしているのを見て石垣先生
方が喜んで下さっているのが伝わってきます。だから「もっと元気にしてあげような」と一生懸命治療
してくださる先生方の期待に応えられるよう、これからも努力したいと思います。

        



石垣院長先生からの提案


石垣先生から次のような提案がありました。
「O.K.さんの今後50年の人生、元気で楽しく暮らす為には、2つの障害があります。
“薬の副作用”と“老化”です。
薬については、今後50年 “プレドニン”と“マイテラーゼ”を服用することは、
未知の世界で、何が起こるかわからない。例えば現在でも、O.K.さんは緑内障もある。
しかし“プレドニン”は“緑内障の方には投与してはいけない薬”である。
しかし、投与されている矛盾した行為がなされている。どういった副作用が出るかわから
ない、それを避ける必要がある。
そのためには内臓を活性化し、徐々に薬を減らす必要がある。

また、正常人でも、老化により筋肉が衰える。O.K.さんにとっては、それ以上に内臓を
活性化し、老化に対処する必要がある。
今現在、全く支障は無くなっているが、今後50年を考えると、更に内臓活性化し、
この2つの障害、“薬の副作用”と“老化”に備え、新たなスタートを切る必要がある。」

          



O.K.さんの病歴一覧

年(年齢)

病 歴

医療機関

49年(4才)

重症筋無力症発病(眼筋型)まぶたが下がる、眼球が動かない

原因不明のまま****医大病院に1ヶ月入院

重症筋無力症かもしれないと診断、病院検査を勧められる

筋電図等の検査、結果でず

近所の眼科医

**市民病院(1

**医大病院(2

近江眼科

**医大病院(3

**医大病院(4

**医大病院(5

**労災病院(6)

51年(6才)

息苦しい、飲みこめない症状(全身型)発病

**労災病院(6

52年(7才)

**労災病院入院  **労災病院入院中呼吸困難で危篤

**労災病院(6

53年(8才)

**大学病院入院  

**大学病院入院中呼吸困難、人工呼吸器で蘇生

**大学病院(7

55年(10才)

胸腺摘出手術。緑内症

**大学病院(7

59(14)

肺炎や、呼吸困難で入退院の繰り返し

**市民病院(8)

兵庫県立**病院

60(15)

プレドニン(ステロイド)の服用中止。

マイテラーゼのみ服用。

入院することはなくなったが、日常生活に支障をきたす症状あり。

H5(23)

H6(24)

H8(26)

H9(27)

H10(28)

H10(28)

パルス療法 プレドニン服用再開(7月、8)

パルス療法(11)

パルス療法(2)

パルス療法(78)

パルス療法(2)

  パルス療法の効果がなくなると、息苦しい、声が出にくい、まぶたが下がる、階段が上がりにくい等の症状あり

6月症状悪化 (入院の準備)

**大学病院(9

H10(28)

H12(30)

H12年11

6月石垣先生と出会う

 ROB治療をうける。

日常生活に全く支障なく、健康な人々以上に元気に、仕事も出来るようになる。

薬を減らせるようになる。

  プレドン (3錠)→(2錠)→(12錠)

  マイテラーゼ(33.5錠)→(3錠)→(23錠)

体験談発表(たまごホール)

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